服部幸男選手(3422・静岡)のデータおよび特徴

父の服部正彦は元競艇選手で、服部幸男自身も幼いころから父親と同じ職業に就きたいと口にしていたという。中学卒業後、静岡県立浜名高等学校に進学するが学校が嫌いという理由で中退し、1988年4月に競艇選手養成所に入所。「落水王」と呼ばれながらも卒業時、模擬レースの勝率は7.49で同期生の中でトップだったという服部幸男選手。ここでは服部幸男選手に関するデータと特徴、個人的な寸評を紹介させて頂きます。

*参考
ザ・万舟中穴アタル36競艇必勝法

1.服部幸男選手のデータ

生年月日 1971年1月5日

身長 167cm

体重 55kg

血液型 B型

出身地 静岡県浜松市常光町

所属 静岡支部

登録番号 3422

登録期 64期  

hattori-yukio 引用元:BOAT RACE OFFICIAL HP http://app.boatrace.jp/data/racer_search/3422.php?type=course

その他の服部幸男選手に関するデータはBOAT RACE OFFICIAL HP服部幸男を参照してください。  

2.主要SGタイトル

グランプリ(賞金王決定戦) (1997年)

ボートレースクラシック(総理大臣杯) (1995年)

ボートレースオールスター(笹川賞) (1995年)

ボートレースダービー(全日本選手権) (1992年)

3.服部幸男選手の特徴および寸評

1990年代には人気、実力ともにあり、競艇界のアイドル的存在で女性人気ナンバーワンに君臨していました。服部幸男選手の選手紹介では毎回「ベストを尽くします!」が決め言葉に定着しています。同期には松井繁選手がいて、お互い仲が良いのか悪いのかはわかりませんが、松井繁選手、服部幸男選手ともにお互いをライバル視しているようです。

1990年代はSGV4を達成していますが、それから現在まで10数年間にわたりSGでの優勝がないので現在でも一線級の活躍をみせる松井繁選手と輝けない服部幸男選手という同期同士の比較によくされています。

服部幸男選手が新人の頃は、内側艇を先に旋回させ、そのふところを遅れて旋回する「差し」という戦法が主流の中で、自ら攻めて内側艇をまくり、さらに内側艇との空いたスペースに飛び込む「まくり差し(全速差し)」という戦法を生み出した選手として認知されています。この圧倒的破壊力を持つ戦法を駆使することで新人ながら多くの勝利を重ね、さらに自ら「水の上では先輩も後輩もない」と発し、年功序列の世界に一石を投じる結果となりました。現在の若手主流、スピードターン全盛期を切り開いた一人と言えます。

現在では当時とは変わってインコースからの逃げを主流で戦っている印象をうけます。人気は相変わらず高いので服部幸男選手が1号艇で登場するレースは服部幸男選手に人気が集まる傾向があります。そこで確実に1着を取れる実力が現在の服部幸男選手には無いので服部幸男選手の1着を外して舟券を購入すると万舟券に早変わりというケースが多発します。

進入は基本的にはインコースをとにかく狙って動いてきます。そのため、近年6コース進入の服部幸男選手というのは、ほとんど見られないのではないでしょうか。

平均スタートタイミングは0.16でSG級の選手(ボートレーサー)としては平均的ではないでしょうか。他艇に出遅れる事も無く、ぶっちぎりのトップスタートという事も無い感じです。

現在は歳も重ねたせいか、比較的おとなしい感じがしますが、若い頃はイケイケの生意気な喋り方をしていたので個人的にはあまり好きになれない選手のひとりです。

*参考
ザ・万舟中穴アタル36競艇必勝法

4.まとめ

服部幸男選手は競艇界を代表するトップレーサーに位置付けられているので人気はやはり高いです。個人的には服部幸男選手を信じて舟券を購入するよりも服部幸男選手に人気が集まっているレースで服部幸男選手を外して万舟券狙いの方が貢献してくれる印象をうけています。勝ちきれない選手という印象です。

個人的には違った意味で服部幸男選手が登場するレースは注目レースだと思っていますので、皆さんもお試しで服部幸男選手を外した舟券を狙ってみてください。

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