今垣光太郎選手はここで買おう!?特徴および寸評を紹介!!

父・武志もボートレーサー(36期・登録2664号:2007年現役引退)で、その影響も大きく高校在学中にボートレーサーの養成機関である本栖研修所の入所試験を受験。63期生として入所を果たしました。

1988年9月30日に選手登録。同年11月に福井県のボートレース三国(三国競艇場)にてデビューした今垣光太郎選手。

現在では中島孝平選手、石田政吾選手とともに福井支部を代表する選手です。
同期には滝沢芳行選手などがいます。

ここでは今垣光太郎選手に関するデータと特徴、個人的な寸評を紹介させて頂きます。

今垣光太郎選手に関する話題

今垣光太郎選手、性格?評判?

性格は猪突猛進でレースになると平常心を失う性格らしく、平常心は永遠のテーマと語っています。
デビューから初優出した際の選手控え室では、目が血走り、頭から湯気が立ち上がる程興奮しており、同乗する5人の先輩が「光太郎、まあ落ち着け!!」と束になってなだめたという逸話もあります。

ボートレースオールスター(笹川賞)のファン投票では常に上位に推されるほどの絶大な人気を誇っています。
本人もファンの為に年末のグランプリ(賞金王決定戦)を優勝する事よりもファン投票で出場できるボートレースオールスター(笹川賞)で優勝したいと常に述べているほどファンを大切に考えています。

今垣光太郎選手、結婚?家族?子供?息子?娘?嫁?

今垣光太郎選手の家族構成は妻の円(まどか)さんと4人の子供という構成です。息子が2人、娘が2人で長男、長女、次女、次男という家族です。

今垣光太郎選手、住所?自宅?

住所などの個人情報に関わる情報は載せれるわけがありませんが、今垣光太郎選手は福井支部に所属していますが、自宅は石川県加賀市にあります。

今垣光太郎選手、父?今垣武志?師匠?弟子?

今垣光太郎選手の父は元競艇選手の今垣武志さん(登録番号2664、現在は引退)です。父であり同時に師匠でもあります。弟子に関しては詳しくはわかりませんが、同じ石川県出身の川原正明選手、表憲一選手などと同じペラグループなようです。

今垣光太郎選手、息子?高校?

今垣光太郎選手自身、父の武志さんの影響も大きく、高校在学中に競艇選手(ボートレーサー)の養成機関である本栖研修所の入所試験を受験しています。そんな今垣光太郎選手の息子で長男の光貴(こうき)君も競艇選手(ボートレーサー)を目指しているらしく仮に競艇選手(ボートレーサー)になれれば史上初の親子3代で競艇選手(ボートレーサー)誕生という事になります。

今垣光太郎選手、待機行動違反?

2009年の総理大臣杯(現:ボートレースクラシック)の準優勝戦で1着になりましたが、待機行動違反を取られ優勝戦に進む事ができませんでした。更に次の笹川賞(現:ボートレースオールスター)の準優勝戦でも1着になりましたが、不良航法を取られ優勝戦に進む事が出来ずSG2節連続で準優勝戦1着だけど優勝戦に出場できないという珍しい記録を残しています。

今垣光太郎選手、事故?B2?

2013年前期級別審査において事故率超過(0.70以上)によりB2級に転落をしています。その後はまたA1級に復活してA1級を維持しています。

今垣光太郎選手、怪我?出遅れ?

・2015年3月18日、ボートレース尼崎(尼崎競艇場)で開催されたSG第50回ボートレースクラシック(総理大臣杯)2日目第9レースで1号艇から登場した今垣光太郎選手がインコースから出遅れ(L=選手責任)を犯してしまい返還欠場となりました。売り上げの77%となる9671万7600円が返還となっています。また、前日の初日第7レースで転覆した際の負傷が悪化して負傷帰郷となっています。(頭部打撲と頸椎(けいつい)捻挫)

今垣光太郎選手、トレーニング?

年齢による体力の衰えを抑えるために日々のトレーニングはしっかりと行っているようです。「今まで以上に体のケアをしないとね。体力や反射神経は確実に落ちて行きますから。ストレッチと筋トレは十分なくらいやってますよ。腕力や足腰の強さはそれほどでもないけど、腹筋は自信あります。」と述べています。

今垣光太郎選手、松井繁?瓜生正義?中島孝平?

2015年7月15日からボートレース三国(三国競艇場)で開催されたSG第20回オーシャンカップにおいての主役は良い意味でも悪い意味でも今垣光太郎選手でした。

開催前には地元のWエースとして優勝が期待された中島孝平選手と同時にインタビューに答えています。詳細についてはボートレース三国(三国競艇場)特設サイトを参考にしてみてください。

SG第20回オーシャンカップが開催されると順当に準優勝戦に進んだ今垣光太郎選手は第10レースの準優勝戦の1号艇で登場。そのレースで大本命として期待されましたが、2着争いで川崎智幸選手と同着、写真判定の末3着となり優勝戦に進出する事が出来ませんでした。失意の今垣光太郎選手に唯一声を掛けた同士が松井繁選手だったようです。詳細についてはスポーツナビを参考にしてみてください。

・2015年3月18日、ボートレース尼崎(尼崎競艇場)で開催されたSG第50回ボートレースクラシック(総理大臣杯)2日目第9レースで1号艇から登場した今垣光太郎選手がインコースから出遅れ(L=選手責任)を犯してしまい返還欠場となった事は前述しましたが、同節ではトップ選手のスタート事故が多発しており、初日に瓜生正義選手、2日目に今垣光太郎選手と太田和美選手、3日目に茅原悠紀選手がスタート事故を起こしており、この時の損害額は莫大な額になったようです。

今垣光太郎選手のデータ

imagaki-koutarou1 引用元:イケメンボートレーサートップ100 http://www.boatrace.jp/enjoy/ikemen/racer/3388.html

生年月日 1969年9月18日

身長 161cm

体重 50kg

血液型 A型

出身地 石川県加賀市

所属 福井支部

登録番号 3388

登録期 63期

imagaki-koutarou 引用元:BOAT RACE OFFICIAL HP http://app.boatrace.jp/data/racer_search/3388.php?type=course

その他の今垣光太郎選手に関するデータはBOAT RACE OFFICIAL HP今垣光太郎を参照してください。

今垣光太郎選手の略歴

・1988年11月、ボートレース三国(三国競艇場)で開催された一般戦でデビュー。

・1990年10月、ボートレース蒲郡(蒲郡競艇場)で開催された一般戦で初優出、初優勝。

・1996年12月、ボートレース下関(下関競艇場)で開催されたGⅠ周年記念競走でGⅠ初優勝。

・1999年3月22日、ボートレース児島(児島競艇場)で開催されたSG第34回総理大臣杯競走(現:ボートレースクラシック)でSG初優出、SG初優勝。(優勝戦は6コースから決まり手はまくり差しで1着)

・2010年7月17日、ボートレース丸亀(丸亀競艇場)で開催されたSG第15回オーシャンカップ競走(現:オーシャンカップ)4日目第6レースで1着になり通算1,500勝達成。(4コースから決まり手は抜きで1着)

・2013年前期級別審査において事故率超過(0.70以上)によりB2級に転落をしてしまう。SG競走は級別不問の総理大臣杯競走(現:ボートレースクラシック)のみ出場している。その後の2013年後期級別審査でA1級に復帰している。SG競走は、2014年笹川賞(現:ボートレースオールスター)でSG戦線に復帰しており、この節は優出。優勝戦は4コースから3着になっている 。

・2016年3月31日、一般戦を含めて優勝がなかったボートレース尼崎(尼崎競艇場)で優勝し、全24場の競艇場で優勝を果たし、通算15人目の全場制覇のボートレーサーとなっていますが、近年は持ちペラ制度の廃止や度重なる事故などでリズムに乗れていない状態が続いている印象です。

・2016年12月3日、ボートレース児島(児島競艇場)で開催されたGⅠ児島キングカップ開設64周年記念競走初日第8レースで1着になり通算2,000勝達成。(3コースから決まり手はまくりで1着)

・2016年12月25日、ボートレース住之江(住之江競艇場)で開催されたSG第31回グランプリシリーズ(賞金王シリーズ)にてSG9度目の優勝。(優勝戦は1コースから決まり手は逃げで1着)

・2019年4月21日、ボートレース宮島(宮島競艇場)で開催されたプレミアムGⅠマスターズチャンピオンにて優勝。(優勝戦は1コースから決まり手は逃げで1着)

主要SGタイトル

グランプリシリーズ(賞金王シリーズ) (2016年)

ボートレースクラシック(総理大臣杯) (1999年)

グランドチャンピオン(グランドチャンピオン決定戦) (2002年、2009年)

ボートレースメモリアル(モーターボート記念) (2002年、2004年、2008年)

チャレンジカップ(チャレンジカップ競走) (1999年、2010年)

今垣光太郎選手の特徴および寸評

1999年に最高峰のレースであるSG競走の1つ総理大臣杯競走(現:ボートレースクラシック)で優勝、一気にトップクラスの選手の仲間入りを果たした。
これまでにSG競走で優勝8回を数え、さらに競艇のオールスター戦とも言えるSG笹川賞競走(現:ボートレースオールスター)では2002年・2004年・2005年と3回に渡りファン投票1位に輝くなど、人気・実力を兼ね備えたスター選手として活躍しています。

モーターボート記念競走(現:ボートレースメモリアル)を2002年(蒲郡)・2004年(蒲郡)・2008年(若松)と3回制覇しており、野中和夫(現在は引退)(1974年・1979年・1985年)と並び、当該競走における最多覇者になります。
いずれもナイター施行となった後の制覇であり、特に2002年は、当年より始まったナイターSGの記念すべき第1回大会における覇者として歴史に名を刻んでいます。
また、ナイター巧者としても知られており、ナイターで施行されたSG競走についても、松井繁選手と並んで最多覇者になります。(いずれも2013年現在)。

以前から操艇技術よりもペラ加工の技術の高さを強みにしておりペラ巧者として有名でした。
しかし現在の持ちペラ制度が廃止になってからは、自分の思い通りのペラに仕上げれないという事もあって、以前のようにグランプリ(賞金王決定戦)に参戦できるような好成績を収めれていないのが現在の印象です。

進入は基本枠なりですが、5号艇や6号艇といった外寄りの艇番になった時には、チャンスがあればひとつでもイン寄りのコースに入るように動いてきます。
ただし6号艇の時に1コースを狙ってくるような強引な前づけはありません。

平均スタートタイミングは0.15~0.18くらいでSGクラスの選手(ボートレーサー)の中では平均的か若干遅い数字です。
しかし、今垣光太郎選手自身はスタートを思いっきり「行くタイプ」と述べているので勝負どころではきわどいスタートを狙っているようです。
それにともなってスタート事故(フライング)に関してはちょこちょこありますが、どれも際どいフライングが多く、スタートで若干苦戦している印象がありません。

最近はリズムに乗れていませんが、それでも操艇技術は当然高くどのコースからでも連に絡んでくる力はあります。
どちらかと言えば、まくり屋というよりも差しやまくり差しといった差しハンドルの巧さがあります。
SG戦線でも十分に戦える力と技術は持っているので予想する上ではSG競走でもどのコースに入ったとしても3連単に組み込ませたい選手です。

ザ・万舟中穴アタル36競艇必勝法
*上記リンクは外部リンクです。

まとめ

個人的に今垣光太郎選手は、一時代を席巻した時の勢いは現在はないように感じますが、それでも継続的に賞金ラインキング上位に食い込んで常にA1級にいる底力はあるので今垣光太郎選手が出ているレースでは注目です。

SGやGⅠレースの常連組で、出場選手の中でも底力のあるトップレーサーなので、今垣光太郎選手が良いモーターを引き当てた節のレースであれば是非注目してみてください。

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