競艇選手(ボートレーサー)になる前は、海上自衛隊員であった事で知られている原田幸哉選手。海上自衛隊員時代に先輩に連れて行かれた競艇場で競艇のトリコになり、競艇選手(ボートレーサー)に憧れ本栖研修所の試験を受けたそうです。同期には瓜生正義選手、横西奏恵選手(現在は引退)、魚谷智之選手などがいます。
ここでは原田幸哉選手に関するデータと特徴、個人的な寸評を紹介させて頂きます。
*参考
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目次
1.原田幸哉選手に関する話題
1-1.原田幸哉選手、再婚?離婚?嫁?結婚?
確信ではありませんが、原田幸哉選手は1997年に結婚されていて2009年にも結婚されているようなので一度離婚されて再婚されているのではないかと思われます。
1-2.原田幸哉選手、沖縄?地元?
原田幸哉選手の地元は、以前は愛知県稲沢市(旧祖父江町)に住んでいたが、2011年7月に沖縄県南城市へ移住しています。ただし所属は引き続き愛知支部となっています。
1-3.原田幸哉選手の師匠?弟子は?
原田幸哉選手の師匠はいないようで、自身の弟子には柳沢一選手、横家翔一選手、後藤陽介選手などがいます。
1-4.原田幸哉選手、松井繁?瓜生正義?
「原田といえばダンプ」「原田ンプ」というフレーズがかなり浸透しています。狙ってなのか必死に走って結果的にそうなっているのか真相は解りませんが、結果的に原田ンプという言葉が定着しています。その最大の要因になったのが、2007年ボートレース住之江(住之江競艇場)で行われた第34回笹川賞競走(現:ボートレースオールスター)の優勝戦です。
1周1マークを抜けて先頭争いを瓜生正義選手と松井繁選手が競り合って1周2マークに差し掛かった時に3番手追走の原田幸哉選手が松井繁選手にダンプして結果的に原田幸哉選手と同期で仲の良い瓜生正義選手がSG初優勝、原田幸哉選手は2着、松井繁選手は5着に沈んでしまいました。地元の松井繁選手にダンプした事、ダンプが無ければ1周2マークで松井繁選手がトップに躍り出たであろう場面など色んな要素があって原田=ダンプというのが定着したレースでした。
引用元:You Tube https://www.youtube.com/watch?v=cKBfruUcFHE
1-5.原田幸哉選手、井端?
原田幸哉選手と元中日ドラゴンズの井端弘和さんは、井端さんが中日ドラゴンズ在籍時代から仲が良い事で知られています。2009年のSG競艇王チャレンジカップ(常滑競艇場で開催)の開催直前、井端さんが中日スポーツに寄せた激励文が「愛知のエースはもうお前じゃなくて池田浩二だ」といったような「仲がいい故に、あえて突き放すような」という内容であったため、原田幸哉選手も「最初はカチンときたが、これが逆に励みになった」と結果的に優勝しています。レース後には井端さんからは祝福のコメントが寄せられています。
1-6.原田幸哉選手、原口あきまさ?
ネット上で原田幸哉選手と原口あきまさがそっくりと話題になっていますが、個人的には全然似ていないと思います。
1-7.原田幸哉選手、違反?2014?SG?
2013年5月、ボートレース平和島(平和島競艇場)で開催された開設59周年記念 GⅠトーキョー・ベイ・カップで整備不良(整備規則違反?)による即刻帰郷処分、後の褒賞懲戒審議会で3ヶ月の出場停止の処分、復帰後SGは褒賞懲戒で処分期間が含まれているため出場できなくなっています。これにより2014年に開催されたSG全レースに原田幸哉選手は出場できていません。
1-8.原田幸哉選手、休み?
2009年12月、ボートレース江戸川(江戸川競艇場)で開催されたGⅠダイヤモンドカップ最終日第4レースで1本目のフライング(コンマ03)を切ると、ボートレース住之江(住之江競艇場)で開催されたSG第24回賞金王決定戦トライアル2日目(賞金王シリーズを含めると4日目)となる第11レースに2本目のフライング(コンマ02)。これにより前期未消化のF休みを含めて120日の罰休を課され、2010年後期のB級陥落(最終的に60走事故率0.70でB1級)が確定した。さらに賞金王トライアルの罰則でSG4節、GⅠ 3ヶ月の選出除外を受けています。
1-9.原田幸哉選手、レコード?
抜群のスタート力、長身長でダイナミックなフォームから繰り出す迫力満点のモンキーターンでいくつもの競艇場でレコードタイムを更新しています。現役最多のレコードタイムホルダーです(2016年現在)。
1-10.原田幸哉選手、自衛隊?
原田幸哉選手が競艇選手(ボートレーサー)になる前は、海上自衛隊員でした。
2.原田幸哉選手のデータ
引用元:Sportsnavi http://sports.yahoo.co.jp/boatrace/photos/detail/53
生年月日 1975年10月24日
身長 172cm
体重 52kg
血液型 B型
出身地 愛知県
所属 愛知支部
登録番号 3779
登録期 76期
引用元:BOAT RACE OFFICIAL HP http://app.boatrace.jp/data/racer_search/3779.php?type=course
その他の原田幸哉選手に関するデータはBOAT RACE OFFICIAL HP原田幸哉を参照してください。
3.原田幸哉選手の略歴
・本栖研修所を(リーグ戦勝率6.64(優出2回 優勝0回)の成績で卒業。
・1995年6月、ボートレース蒲郡(蒲郡競艇場)で開催された一般戦でデビュー。同レースで初勝利。初出走初勝利を決めるも節の最後のレースでフライング(F)を犯してしまう。
・1996年、7月ボートレース児島(児島競艇場)で開催された一般戦で初優出。(優勝戦は5着)
・1996年、10月ボートレース三国(三国競艇場)で開催された一般戦で初優勝。
・1997年、この年、優勝5回で1997年度の最優秀新人賞に選ばれる。
・2000年1月30日、ボートレースびわこ(びわこ競艇場)で開催されたGⅠ第14回新鋭王座決定戦競走でGⅠ初優勝。(優勝戦は4コースから決まり手は恵まれで1着)
・2002年1月14日、ボートレース常滑(常滑競艇場)で開催された一般戦で初の完全優勝。(優勝戦は1コースから決まり手は逃げで1着)
・2002年11月4日、ボートレース平和島(平和島競艇場)で開催されたSG第49回全日本選手権競走(現:ボトレースダービー)でSG初優勝。(優勝戦は1コースから決まり手は逃げで1着)
・2009年5月3日、ボートレース蒲郡(蒲郡競艇場)で開催された一般戦 中日スポーツ賞 第38回竹島弁天杯争奪戦 2日目の1着で通算1,000勝達成。
・2013年5月、ボートレース平和島(平和島競艇場)で開催された開設59周年記念 GⅠトーキョー・ベイ・カップで整備不良による即刻帰郷処分、後の褒賞懲戒審議会で3ヶ月の出場停止の処分、復帰後SGは褒賞懲戒で処分期間が含まれているため出場できなくなる。(2015年の総理大臣杯(現:ボートレースクラシック)からSG戦線に復帰している。)
4.主要SGタイトル
グランドチャンピオン(グランドチャンピオン決定戦) (2004年)
ボートレースダービー(全日本選手権) (2002年)
チャレンジカップ(チャレンジカップ競走) (2009年)
原田幸哉選手の代表的なレースです。
引用元:You Tube https://www.youtube.com/watch?v=wMcAxdZ3u2E
引用元:You Tube https://www.youtube.com/watch?v=bZFmZYx-oiM
5.原田幸哉選手の特徴および寸評
抜群のスタート力、長身長でダイナミックなフォームから繰り出す迫力満点のモンキーターンでいくつもの競艇場でレコードタイムを更新しています。現役最多のレコードタイムホルダーです(2016年現在)。
進入は基本枠なりですが、チャンスがあれば少しでも内よりのコースを狙っていきます。ただ、よほどの事がない限り、強引な前づけまでしてくる事はありません。
平均スタートタイミングは0.11~0.15でSGクラスの選手(ボートレーサー)の中でもトップクラスのスタート力を持っています。原田幸哉選手がスタート巧者というのは、有名でスタートで他艇よりも出遅れるという場面はほとんど出てきません。スタート事故(フライング)に関しては近年は年に1回あるか無いか程度で抑えられています。
レコードタイムを叩き出すなどターンスピード、操艇技術に関してはかなりレベルの高いクラスでSGクラスでも上位に入るレベルだと思います。どこのコースであっても1着、連に絡むことが出来る選手のひとりだと考えられます。ただし、レース展開の中で下位に沈めさせられるという場面も数多く出てきます。人気の面でも絶大なとは言えないので原田幸哉選手が本命的な舟券の買い方よりも万舟券狙いで原田幸哉選手の1着買いなんかすると以外とはまったりします。特に原田幸哉選手が5、6コースで人気が無い時は一発狙い目です。
*参考
ザ・万舟中穴アタル36競艇必勝法
6.まとめ
原田幸哉選手は、現在でも毎年賞金ランキングの上位に食い込んでくる実力を持っていてどのレースにおいても注目しておかなくてはいけない存在です。
SGやGⅠレースでも優勝争いに絡んでくるトップレーサーなので、原田幸哉選手が良いモーターを引き当てた節のレースであれば是非注目してみてください。