平田忠則選手(3898・福岡)のデータおよび特徴

福岡市立吉塚中学校卒業。いとこに憧れ車の整備士になりたいと思った平田忠則選手。福岡市立博多工業高等学校では自動車工学科で車を学ぶ。久留米工業大学に進学し、大学でも車関係の勉強を専攻するが、大学在学中に知人に連れて行かれたボートレース福岡(福岡競艇場)で、競艇選手募集のポスターを見て、整備も出来て早い乗り物に乗れるという魅力的な仕事に興味を持ち、大学を中退して本栖研修所(現在はやまと学校)を受験、一発合格しています。本栖研修所には80期生として入所。同期には鎌田義選手、白井英治選手重成一人選手、吉田弘文選手などがいます。

ここでは平田忠則選手に関するデータと特徴、個人的な寸評を紹介させて頂きます。

*参考
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1.平田忠則選手に関する話題

1-1.平田忠則選手の事故?大怪我は?

選手生活2年目を迎える頃、ボートレース福岡(福岡競艇場)にて転覆。左手に大怪我を覆い5時間近い大手術を受ける事になります。全治半年、復帰2年と言われていたが、わずか半年で復帰を果たします。復帰戦もデビューと同じボートレース福岡(福岡競艇場)を希望し、復帰戦も白星を飾っています。漫画「モンキーターン」で主人公の波多野憲二が左手を大怪我するという話しは平田忠則選手のエピソードがモチーフになっています。

1-2.平田忠則選手、ザウルスで斡旋停止?

2004年3月、ボートレース若松(若松競艇場)で開催された節において通信機能付き電子手帳(シャープ ザウルス)持込が持込違反になり出場停止12ヶ月の処分を受けてしまいます。2005年5月7日、ボートレース若松(若松競艇場)で開催された一般戦の初日第4レースより復帰しています。(6コースから決まり手はまくり差しで1着)

1-3.平田忠則選手と吉田弘文選手?

3898番の平田忠則選手、3899番の吉田弘文選手、同期の登番1つ違いで実力的にも似たようなところがあるように感じます。(本栖研修所でのリーグ戦勝率1位が平田忠則選手で勝率7.46、2位が吉田弘文選手で7.36、卒業レース優勝戦も平田忠則選手が5着、吉田弘文選手が6着)見た目の部分でも似たようなところがあるので当の本人達が仲が良いか悪いかの真相は本人達にしかわかり得ない部分ですが、何かと比較されやすい2選手である事は間違いないかと思います。

2.平田忠則選手のデータ

hirata-tadanori 引用元:ボートレース宮島HP https://www.boatrace-miyajima.com/news-single.html?id=2014000062

生年月日 1976年11月13日

身長 167cm

体重 53kg

血液型 A型

出身地 福岡県

所属 福岡支部

登録番号 3898

登録期 80期

hirata-tadanori1 引用元:BOAT RACE OFFICIAL HP http://app.boatrace.jp/data/racer_search/3898.php?type=course

その他の平田忠則選手に関するデータはBOAT RACE OFFICIAL HP平田忠則を参照してください。

3.平田忠則選手の略歴

・1995年5月22日、ボートレース福岡(福岡競艇場)で開催された一般戦初日第1レースでデビュー。デビュー戦で6コースから決まり手は抜きでいきなりの1着。

・1998年2月11日、ボートレース津(津競艇場)で開催された一般戦で初優出。(優勝戦は5コースから5着)

・1998年5月20日、ボートレース若松(若松競艇場)で開催された一般戦で初優勝。(優勝戦は1コースから決まり手は抜きで1着)

・1998年10月23日、ボートレース芦屋(芦屋競艇場)で開催されたGⅠダイヤモンドカップ競走4日目第2レースでGⅠ初出場。(5コースから5着)

・1999年1月27日、ボートレース住之江(住之江競艇場)で開催されたGⅠ第13回新鋭王座決定戦競走2日目第3レースでGⅠ初勝利。(5コースから決まり手は差しで1着)

・1999年5月19日、ボートレース福岡(福岡競艇場)で開催された一般戦2日目第12レースで転覆。左手に大怪我を覆い5時間近い大手術を受ける事になる。全治半年、復帰2年と言われていたが、わずか半年で復帰を果たす。

・1999年12月3日、ボートレース福岡(福岡競艇場)で開催された一般戦日刊スポーツ杯争奪戦2日目第3レースで復帰。復帰戦は、4コースから決まり手まくりで1着。この節は優勝戦まで進出しています。(優勝戦は3コースから6着)

・2000年10月4日、ボートレース戸田(戸田競艇場)で開催されたSG第47回全日本選手権競走(現:ボートレースダービー)初日第1レースでSG初出場(6コースから4着)。また、同節3日目第1レースでSG初勝利。(3コースから決まり手はまくりで1着)

・2001年5月29日、ボートレース芦屋(芦屋競艇場)で開催された「GⅠ全日本王座決定戦」 開設49周年記念競走でGⅠ初優出。(優勝戦は3コースから5着)

・2001年10月28日、ボートレース常滑(常滑競艇場)で開催されたSG第48回全日本選手権競走(現:ボートレースダービー)でSG初優出。(優勝戦は1コースから6着)

・2003年7月22日、ボートレース若松(若松競艇場)で開催されたGⅠ全日本覇者決定戦 開設51周年記念競走でGⅠ初優勝。(優勝戦は2コースから決まり手は差しで1着)

・2012年5月28日、ボートレース桐生(桐生競艇場)で開催された一般戦第9回大間々カントリー倶楽部杯3日目第5レースで通算1,000勝達成。(4コースから決まり手はまくり差しで1着)

・2015年1月18日、ボートレース尼崎(尼崎競艇場)で開催された一般戦BOAT Boyカップ2015で通算50優勝達成。(優勝戦は2コースから決まり手は差しで1着)

4.主要SGタイトル

なし

平田忠則選手の代表的なレースです。

引用元:You Tube https://www.youtube.com/watch?v=kycyV10ftpE&t=3s

引用元:You Tube https://www.youtube.com/watch?v=Ku5x_jOMbKs

5.平田忠則選手の特徴および寸評

早い段階から注目されている選手で大怪我や出場停止処分を受けた時以外は、毎年コンスタントにSG競走に出場している選手です。近年は若手の台頭もあってグレードの高いレースでは勝ち切れていませんが、トータル的には高勝率を維持し続けています。学生時代から車の整備関係の勉強をしている事もあってモーターの整備力も強い方の選手なのではないかと想像できます。

進入は基本枠なりですが、場合によっては動いてくる事も考えられます。どこのコースからでも基本勝負できる選手です。

平均スタートタイミングは0.18でSGクラスの選手の中では、ちょっと遅めのスタートタイミングと言えます。どちらかと言えば慎重なスタートだと思われるため、フライング(F)などのスタート事故は比較的少ない選手と言えます。逆を言うと平田忠則選手が1号艇、1コースから登場した時に他の選手よりも遅れたスタートになりまくられて惨敗というシーンもまれに出てきます。

ここ数年はGⅠ以上のグレードでの優勝は遠ざかっていますが、節間を通してみればSG、GⅠでも1着を何本でも取ってくる実力は健在です。生粋の自在派でどこのコースからの登場であってもモーターの状態や対戦選手によっては1着や連に絡んでくる好走を見せてくれます。そのため舟券を買う際には平田忠則選手が登場するレースでは何号艇であっても注目する必要があると思います。

*参考
ザ・万舟中穴アタル36競艇必勝法

6.まとめ

平田忠則選手は、まだSGタイトルに手が届いておらず、GⅠ競走以上のタイトルも近年は遠ざかっていますが、かといってSG、GⅠなどのハイレベルなレースで勝てないかと言えばそんな事はありません。どのレースであっても「勝負」できる選手だと思いますので要注意です。

SG、GⅠ競走では勝ち切れていませんが、それでも毎年賞金ランキングでも上位にランクインされてくる実力を持っていますので、平田忠則選手が良いモーターを引き当てた節のレースであれば是非注目してみてください。

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